和フリカン in 名古屋 on 6/27
和フリカン in 名古屋

おかげさまで、昨夜は140名を越える来場者で賑わい、大盛況のうちに終わりました。ベリーダンスがすごかった!!!

イベントとしては大成功!!です。

同じイベントが今日は尼崎で開催されますが、

和アフリカンin名古屋の第2回もまた予定されるかもしれません。そのときはまたみんなで出かけましょう!!おはな


| 店主日記 | 09:48 | comments(0) | - |
アフリカ旅行5
続いて、孤児院について・・・


ギニアでは、病院のほかに学校と孤児院を自分の目でその現状を見たかった。
学校は、お願いしていた女性がその日高熱を出してしまい訪問ができなくなってしまった。

Sは自分の運営する孤児院のことを4年前の日本滞在中にわたしに話してくれた。

でもそのときは、アフリカ人のスケールの大き過ぎる話に半ば辟易しかけていたときでも
あったので、取材に来るメディアにその話を伝えながらも自分の中では半信半疑なところもあった。

が、違った。
はじめ彼はあまり自分からそこへわたしを連れて行きたがらなかった。
どうしても行きたい~、と2日間ほど粘ってようやく連れて行ってくれた。
そして、驚いた。同時にSへの尊敬の念で胸が溢れんばかりになった。

在籍児童数24名。拾われたときは全員が病気。おそらく病気の子どもを養っていく経済力が両親になかったために捨てられた子どもたちだ。

この施設は有名なの?と聞くとあまり知らせていないという返事が返ってきた。

施設が有名になると、ますます子どもを捨てる親が増えてしまうことを危惧するという。

屈託のない子どもたちの姿に涙が出た。日本でも同じような事態はある。

でも最貧国のここの状況は悲惨だ。寄付でもらったようなたくさんの服が無造作に干されていたが、
大半は日本ではゴミも同然のような衣服。

24名の子どもたちのお米も十分にない状態。

それでもその子たちの将来を考えて、Sは週末に英語の先生を呼んで指導を受けさせる。
フランス語圏のこの国では、英語ができると職にありつける。

体操の才能がある子、書の才能がある子、メカニカルな才能がある子・・・少しでも秀でた
面がある子は、その道の師の元に送ると話していた。

全員が学校へも行かせてもらっている。

確かに義務教育がないこの国では、貧しい家庭で働かざるを得ない子たちよりも、
ここに預けられた子のほうが良い教育を受けさせてもらえる。

貧しくとも両親の元にいる子ども、ここの子たちのように捨てられた子ども。
いろいろと考えさせられてしまう。


この施設に向かう途中に、線路を見た。線路づたいにぞろぞろと老若男女が歩いていく。
その先は・・・鉱山。その光景の先にあるのは・・・・わたしはそのときブラッドダイヤモンドという映画のワンシーンを思い出した。



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*アテンドリエペジーブルは、この孤児院にお米代、文具代、衣服代を寄付しました。(2009.4)

| 店主日記 | 23:29 | comments(0) | - |
アフリカ旅行4
ギニアへの旅の行程は全8日間、渡航時間まで含めると9日間の旅だ。
後から知ったけれど、ユニセフ親善大使のアグネスチャンのブルキナファソへの旅とほぼ同じ日程だった。パリ経由なら会いたかったな。

初日と最終日は移動日として、中1週間のうち、1日目は今回の渡航目的について滞在先のSと日本大使館に話しに出かけた。その後は、4年前に一緒に働いたみんなのオフィスを訪ねたり家へ訊ねてきてもらったり、で懐かしフィーバー。

次の2日間と最終日は、目的達成のための訪問を繰り返したが、
残りの滞在日を利用して、どうしても行きたいところがあった。

学校と病院とSがプライベートで運営している孤児院とマルシェに行きたかった。

行きたかった村は、滞在期間の短さや治安上の不安でSに却下されて諦めざるを得なかったけれど、
マルシェには4か所連れていってもらった。


さて、病院について・・・・

ロケーションは遠くに海が見えてとても良いし、面積も結構ある。
話をすることのできた数名の医師たちも立派だった。でもいたる所の印象は、ただただとにかく粗末。

ビデオと写真の撮影をお願いしたら、白衣を着るから待ってと言われて、着たところを見て驚いた。
白衣が茶色いっぽい。洗う水が不十分なのか?衛生的に大丈夫なんだろか?

わたしは思わず日本に帰ったら白衣を集めてこの人たちに送りたいと思った。
日本では捨ててしまうような白衣だった。

とりあえず一つの病棟を見てまわった。

病室の天井は穴があいていた。

ベッドが足りずに廊下にやせ細った老人が横たわっていた。

点滴を見て驚いた。点滴が木の枝みたいなものから吊下げられている!

ベッドも堅そうな粗末なものだった。医療物資はここに限らずあらゆる診療所で不足しているという。

もし自分のやっていることがこの先成功したら、ここに物資を送ろう。

少しずつできることから手をつけよう。

駐車場には立派な救急車が2台停まっていた。トヨタ車のようだからどこかからの寄付だろう。

アフリカでは救急車が足りないとも聞いていたので、ホッとしたのも束の間。

現地の人間いわく、交通事故はまず見殺しなのだそうだ。

救急車を呼んでもらえる人はよほどラッキーらしい。事故にあったひとがお金が払える保障がないからとか。確かに救急車代もかかる。

これがアフリカ大陸中2番目の最貧国の現状だ。


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| 店主日記 | 22:54 | comments(0) | - |
アフリカ旅行3
温かい歓迎を受けて、夕食をとったあとは疲れているのですぐに
眠りについた。。。。

と書くとすーっとこの国の日常に馴染めたように感じる。
でも実際は違った。

家に招き入れられると、まあ大体思っていた感じ。。。ものすごい豪邸でも
ないけれど、まあまあ衛生的でゆったりしたリビングには大きな白いソファ。
エアコンもちゃんと効いていた。18度の設定はちょっと肌寒いくらいだ。
DELLのコンピュータにはネットがつながっていない。そんなことろはまだまだ
この国の遅れを見せていた。
43インチかまたはそれよりも大きいディスプレイのTVが2台、パナソニックとサムスン。扇風機は三菱だった。

パソコンにネットがつながっていないのは、遅れているから仕方がないと
思ったけれど、それどころではない!電気が止まる。しかも突然に!!

停電。久しぶりに経験した。突然に電気が消えて真っ暗になることに、
彼らはとても慣れていてひょいひょいとランプをつけに行く。
そう、その後滞在中に停電しない日は1日もなかった。
でも早い時は1分後、長くても20分ほどで電気が供給された。普段は
半日電気がこないこともあるそうだ。

さらにびっくりしたのは、これは村ではあり得ることだが予想だにしなかったこと。水が出ない。シャワー水栓からも蛇口からも水が出ない。

ではどうしたか、というと、この家の人は、センターの水道会社から水を買っていて家にある浄化システムを使ってきれいにした水を150キロくらいはいるタンクに貯水しておく。ここから大きめのバケツに水をくみ出してそれを沸かしてシャワー用にする。なんとも手間な毎日だったし、バケツ一杯のお湯で全身を洗うのは結構大変だった。わずかに残したお湯で洗濯もした。

もうどこでも暮らせるな、と思った瞬間。おはな


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| 店主日記 | 22:46 | comments(0) | - |
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